Present

「日常」を「奇跡」に。

生きることは自分との約束。

 

みなさまお久しぶりです。

 

長らく筆を握っていなかったので、

訛りが出ている気もしますが、ご愛嬌ということで。。

 

言葉にして伝える事は、私にとって心地よい負荷でもあるので、定期的にしていきたいと思い直した夏の夜。笑

 

久しぶりのテーマ、何にしようかなあと思っていたけれど、最近ふと感じたことを。

 

「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」

 

伊集院静さんの言葉。

 

この言葉を聞いた時、

何故か心の澱みがスーッと晴れたんだよなー。

 

私が何かそんな大きな事情抱えているから、とか、そういう話をしたい訳ではなく。

 

あー生きるって、こういうことか、と。

 

どれだけいつも笑顔でいる人でも、

どれだけ優しい言葉をかけてくれる人でも。

 

必ず何かを抱えながら生きていて、

でもそれが生きることだと受け入れていて。

 

ぜーんぶひっくるめて、

丸ごと愛せる自分の人生って、

きっと怒りとか哀しみとか、

乗り越えるのではなく受け入れたときに、

歩んでいけるんだなと。

 

では、受け入れるためには、

どうすれば良いのか。

 

答えは1つ。

生きる覚悟を持つことなのかなって。

覚悟とは自分と約束をすること。

 

生は死に向かっていると表現出来るように、

エンディングに向かってスキップルンルンで歩んでいるって考えると、人間ってだいぶクレイジーだよね。笑

 

そんな中で崖から落ちかけたり、

ライオンに食べられかけたり、

無人島に迷い込んだり、するかもしれない。笑

 

はたまた、

ほっぺたが落ちるほど美味しい食材に出会ったり、

一目惚れしてご飯も手につかないくらい素敵な人に出会ったり。

 

当たり前かもしれないけど、

歩いていれば景色は変わり、出会う人も変わるんだよね。

だから、色んな感情が生み出されることは、

必然であり、生きることであり。

 

 

感情の引き出しは、経験に比例するのかなって。

感情の引き出しが多ければ多いほど、

人への思いやりや共感を生み出しやすくなる。

嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい、なんて一言では片付けられない感情って沢山ある。

グラデーションがかっているものが殆ど。

 

そのグラデーションって、

多分一度その色の世界を観た人にしか分からない感覚って必ずあって。

 

そこを言語化できた時に、人とつながるきっかけが生まれるんだろうな。

ポジティブな面でもネガティヴな面でも。

 

人生において誰かにとって、木陰のような存在でありたいなと思うのです。

疲れた時にすっと入りたくなる、

入ったらパワーも充電されてまた頑張ろうと思える存在。

でも木陰の存在意義って、太陽があるからであって。

人がいるからこそ、役立てる存在。

 

だからわたしは、

言葉にすることを続けたいし、

経験することを惜しみたくないなあと。

 

今日が終わり、明日が来る。

東へ日が昇り西へ沈む。

 

このサイクルが生きることであり、

そのサイクルの中で起こることも生きること。

 

自分との約束、守れる人になりたいな。

 

久しぶりに真面目な話をすると、

長くなってしまいましたが。。

 

またお会いする日まで!

 

「きっと、夏のせい。」

 

大好きなルミネの言葉とともにさよなら!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「答え」ではなく「応え」を見つけるには?

社会人生活がスタートして、早2ヶ月。

時が経つのは早いもので、街中を早足で歩くとじんわりと汗ばむ季節に。

 

お財布片手に颯爽と会社を後にして、丸の内OL風に美味しいランチを開拓する事が最近の趣味です。

 

ただ、現実は甘くありません。

 オフィスがビジネス街にあることもあり、

揚げ物!白米!うどん!どや!っていう品揃えなので順調に脂肪を装備してきております。

 

 

そんなマヌケなことを言いつつも、

仕事では悔しい思いを幾度と無くしております。日々勉強です。

 

そんな中一つ山場を越えたので、

久々に親指を動かせて頂いております。

 

ここ最近ふと思った事をシェア。

先日、会社の先輩と現場の打ち上げをしていた際に言われた一言が忘れられず。

 

世の中に溢れる、

「本場の正しい○○」という言葉。

 

代表的な事例としては、パスタの食べ方。

イタリアでは、フォークのみで食べるパスタですが、日本ではフォークとスプーンを使って食べる事が良しとされています。

 

アルバイト先がパスタ屋さんだったこともあり、男性が女性に気取ってこの豆知識もどきを言ってた場面を何回見たか。笑

 

その話は置いといて。

 

 

その時私は、ワイングラスの持ち方、について同様の話をしました。

 

というのも、先輩がワイン好きだったから。

 

「ワイン好きなら思う存分語ってもらえそう!」という深掘り出来るであろうネタの一つとして、投げかけました。

 

「ワインのグラスの肢を持つ方法って間違いらしいんです!」

 

「そうらしいね〜。でも間違いではないと思う。正しくもないと思う。

 

 

 

 

「・・・・?」

 

 

 

 

 

私はちんぷんかんぷん。

一瞬どこの哲学者と話してるかと。笑

 

「例えば、ワインを飲む行為の目的として、自分の手を綺麗に見せたい、と思ったとしたら、肢を持つという方法は正解じゃない?」

 

目から鱗のことばでした。

 

人はどうしても、世間一般的にある共通概念を 大前提として「正解」を決めるし、

それが「正解」だと思い込みます。

 それって、数式の様に答えが出ないものに対しても、仮説という形で「正解」だと思い込む。

 

でもふと視点を変えてみると、その正解は、

完全仮想の正解であって。

 

人それぞれ、行為の目的を持って、

それに基づいた行為であれば、

一種の正解になるんだな、と。

 

極論 「正しい」ことって、

そもそも無いんじゃ無いかな、と。

 

その時代、その人達、その空間によって、

正解は違うし、違うものであるべき。

 

正解とは、

正しいことを「答える」のではなく、

自分の想いに、相手の想いに「応える」ことなのか、と。

 

正しいことを知ることが、

知識を得ることだと考えていた私は、

何だか凄く恥ずかしくなって。

 

社会人になって、早く大人になりたい焦燥感から「正しい」ことをしないとって無意識のうちに思ってしまっていたのかも。

 

かの有名な、リッツカールトンのクレドにもある、この考え方。

実際に、お客様のためなら、

それぞれの従業員に1日2000ドルまでの予算があり、使っていい権限があります。

 

マニュアルには載っていない、

目の前の人に「応える」という最高のおもてなし。

 

一つの事象に対して、

どれだけ沢山の人と出会い、

それぞれの「応え」を持てるのか、

大切なのだと思う。

 

きっとこれは、どれだけ多くの人と出会い、

誠実に付き合えるか、で変わってくるのだろうなと。

 

 社会人になり、早3ヶ月経ちましたが、

1日1日を大切に、噛み締めて、踏み締めて、これでもかってくらい謳歌したいと思います。

 

 とりあえずは、

暑気払いで美味しいお肉がたべたいです。笑

 

では。

「褒める」が持つチカラ


3月ももう終わりですね。
春が少しずつ少しずつ、歩み寄ってくれているなあと感じる日々です。

暖かいそよ風が優しく頬を撫でてくれたり、
時折呼びかける様な小鳥のさえずりが心地良かったり。
春は五感をフルに使って「感じる」ことを、
無意識にさせてくれる季節なので凄く好きです。

そんなこんなで、
春から社会人になる訳ですが、
1つ決めたことがあります。

相手に対して、
ポジティブな感情を抱いたときには、
必ず口に出して言うこと。

「ありがとう」はもちろん、
「素敵な服だね」だとか、
「優しいね」だとか。

いのちを燃やしている限りは、
一人でも多くの人に自分の気持ちを素直に伝えておきたいな〜と。

生と死を考えるきっかけが最近あったので、
ふと思った訳です。


話は大きく変わりますが、
私はアメリカに行った際、
1つ日本と大きく違う文化があるなあと感じて。

それは「褒める」文化でした。

道行く人でも、お店の店員さんでも、

「貴方の○○凄く素敵だわ!どこで買ったの?」

と本気で言ってくれるんです。
いや〜照れる照れる。

やっぱり人って凄く単純で、
どんな部分であっても「褒め」られると
ついつい口元が緩んじゃうんですよね。
もーう可愛い奴め!つん!ってしたくなる。
(え?ならない?笑)

というわけで今回は「褒める」について。


「あー、いいことないかなあー」


このセリフ、
誰もが1度は言った事があると思います。

気持ちが不安定だったり、
疲弊していたりすると、
ふと言ってしまうこと、あるある。

日常的にハッピーな気分になれるタイミングって、色んな場面があると思うのだけれど、
どうしても「受け身」な部分があると思っていて。

でもそれはきっと、
自分で「ハッピー」を待ってるからであって、作っちゃえばいいんです。

なければ、作る。

となると、自分から作れるハッピーの中では、
「褒める」行為が1番ノーコストで出来るかなと。時間やお金的な面で。

いやいや、でも、
「褒める」って、
相手しか嬉しくないんじゃないの?
って思ってしまう人もいるはず。

その通りです。それが狙いです。
だから、ハッピーになれるんです。

それは何故か。

相手を喜ばせようとする事で、
自分が相手に対してポジティブな言葉を掛ける。
すると自然と相手を考える事で視野が開け、
自分の感情もポジティブにベクトルが向いてくるから。


じゃあ「褒める」って言っても、
「どう褒めたらいいの?」ってなりますよね。

ここで私の経験談から、
考えた3つのポイントをご紹介。

  1. 自分主体の言葉で褒める 
  2. 相手の「お気に入り」や「こだわり」を読み取る
  3. 端的に言う


①自分主体の言葉で褒める

相手と自分の関係性を深める為に重要なことって、二人にしか分からない気持ちの共有であったり、共通点であったり。
割と「秘密」的な意味を含んだ情報や思い出だと思っていて。

よく、恋愛でも、
「二人だけの秘密だよ。(ウインク)」
みたいなセリフで恋に落ちちゃうパターンあるじゃないですか!(妄想上)

そんな毎回毎回、秘密なんか作れない!って、なるんですが。

秘密=二者間の価値観の交錯する所

と考えれば、意外に見つけられるのかな、と。

世間一般的な視点からその人の事を「褒める」のではなく、
自分の視点で「褒める」ことが大切かな、と。

「私は○○が好きだから、
あなたの○○凄くいいと思う!」

と言うように。

こうすると、二人の価値観の共有が出来て、
一種の秘密が作れて、より精度の高い「褒め」ができるのかなあ、と。


②「お気に入り」や「こだわり」を読み取る

観察力や洞察力をフル稼働させなければ、いけません。笑

先日後輩に新しく買ったスニーカーを褒めてくれることがありました。

私の予想では、、
全く汚れていない白のスニーカーから
→きっと新しく買ったんだろうな
→お気に入りなのかな
という予測もした上で言ってくれたのかな、と。笑

でもそういう少し思い入れがある部分を褒められると、一際嬉しくなるんですよね。


③端的に言う

これは、完全に私の好みです笑

さらっと言ってくれた方が、
私は対応し易いなあって。

褒め慣れていない私だからこそかもしれないですが。

端的に言う=直感で思わず言ってしまった、ってことかな、と。
つまりお世辞だけじゃない感じが伝わるんですよね、相手に。
これだけネチネチ言っておいてですが笑


ここまで褒めること、についてお話してきましたが、ここで1つ事例を。

一時期話題にもなった、
彼女を褒め続けるとどうなるか、という実験。

彼女を褒め続けるとどうなるのか - razokulover publog

この話にもある様に、
褒めていると相手も自分も好きになっていく。


つまり、気持ちが落ちている時や、
自分に少し自信が持てない時こそ、
相手に目を向けて「褒めて」みる。

大袈裟じゃなくてよくて、
大それた言葉じゃなくてもよくて。

「褒める」という意味合いに
隠し味として小さな「愛」をちょこっと足してみる。

私は、人からの承認欲求がとても強いので、
自己嫌悪になる時が時たまあります。
こう見えて笑

そんな時は、周りにいる人を見渡して、
「褒める」部分を少し探してみる。
もし直接言えなければ心の中でもいいから、
呟いてみる。

そうすると少し心が落ち着いて、
自分ももう少し褒めてあげようって
気持ちが前向きになれる。

いつもよりちょっと、
相手との距離が縮まるかも。

前よりちょっと、
自分の事が好きになれるかも。


ただ、1つ私の課題としては、
褒められる事が苦手なので、
「褒められ上手」になりたい。笑


ついに明日から
社会という大海原に航海に出ます。笑

1ヶ月に1回くらいは更新して行きたいなあ〜

ではでは、アディオス!



「待つ」ことのススメ



父がいつも通う鍼灸院の先生からレモンを頂いたそうで、ふと思いつき。


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はちみつレモンをこさえてみました。
美味しくな〜〜れ〜〜と唱えながら、
愛情込めて瓶をフリフリ。
明日が楽しみです。

作っているときに感じたこと。

直ぐに何事もその場で出来てしまう時代に、
「待つ」行為は新鮮味があるなあ、と。

でも私は「待つ」ことが嫌いではないです。


待つ時間は、未来へのワクワクをくれる。

待つ時間は、想像の余地を与えてくれる。

待つ時間は、愛を育んでくれる。


「待つ」事って、
自分にとっても相手にとっても、
心動かされる行為だと思っていて。


時間はお金には変えられない、

とよく言うように、
人にとって時間とは何にも変えられない財産。

それを消費している、消費されている、
という事実から、人は自分の想いに気づき、相手の価値を見出すんじゃないかなあって。


恋愛でいえば
「ああ、私、こんなに好きなんだ。」
と好きな人からの返事を待ち続けている時に感じたり。
待っている間に想いがどんどん募っていったり。


現在放送中の月9に出てきたセリフが印象的でした。

「恋は会ってる時に生まれるんじゃない、
会わない間に生まれるものなんだよ。」

まさに、です。


待つというように、
誰にも決められていない、
余白ってすごく大切だと思う。

自由で、気ままで、わがままに、
人間らしくなれる、というか。

人ってどこかで思い通りにならない状況を、
求めているのかもしれない。
その方が素直になれるって、分かっているから。

簡単、便利、早い、にどれだけ近づけるかが勝敗のカギとされる現代社会。

でも「待つ」ことって、
意外に嫌なことじゃないのかもしれない。

余白があればあるほど、
想いは強くなる。つまり正比例する。

これからは、友達が遅刻した時には、
その人のことを考えてみる。
待つという余白に、自分の中想いを描いてみる。
なんてことをすれば、
ちょっぴり待つ時間が楽しくなるのかも。


なんてことを、はちみつレモンを作りながら思いました。どういうこっちゃ。笑

因みにそのレモンは、元々倉田市長さんからの頂き物らしいです。
池田愛で、美味しくなるかな。笑

アディオ〜〜ス!

遠そうで、近かったり。

早速ブログ更新します。

暇なので。笑
 
今日は1月23日、
アーモンドの日だそうです。

さて、それは何ででしょう??
①アーモンドが発見された日
②1.2.3ダーッ!とアーモンドを食べると美味しいから。
③1日に必要なビタミンEが23粒食べると採れるから。
 
正解された方には、なんと!!
私のエルモのモノマネが見れる券をプレゼント!(要らないとか言わないで)
 
少し気になった記事があったので。
 
 
 
以前、ゼミの個人研究で取り上げた「名誉の殺人」。
たまには真面目に勉強もしてます。笑
 
「名誉の殺人」とは?
名誉殺人(めいよさつじん、英:honor killing)とは、女性の婚前・婚外交渉(強姦の被害による処女の喪失も含む)を女性本人のみならず「家族全員の名誉を汚す」ものと見なし、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習のことである。イスラーム文化圏では同性愛者も対象となる。 引用:wikipedia

 
この記事では「宗教」や「慣習」が、大きな原因とされているけれど、
実際はもっと複雑な「人間的」な理由も孕んでいると思っていて。
 
仲間外れにされたくない、という「不安」であったり、
社会の慣習に抗う「恐怖心」であったり、
恋人や好きな人に抱いてしまう「独占欲」であったり。
 
私達とは縁も無い世界だと思いがちかもしれないけれど、
動機だけ見てみると同じ人間である限り近い部分はあるはずで。
 
「名誉の殺人」を犯した人たちが、
全員喜んでやったかといえば、そうでは無いかもしれない。
 
苦渋の決断の末に、犯してしまったのかもしれない。
愛しているが故に、殺めてしまったのかもしれない。
周囲からの重圧に耐えきれずに、自我を失ってしまったのかもしれない。
 
宗教という法として定められてはいないけれど、
それ同等の拘束力を持ちながらエモーショナルな意味合いも含むものだからこそ、
「人間的」な理由も勿論絡んでくると思っていて。
 
 
私もそうだけれど、物事を捉える時には大きな部分から見てしまいがち。
とりわけ社会問題といった、様々な原因が複雑に絡み合った問題であればあるほど。
 
でも少しずつ紐解いていくと、
今まで遥か遠くにいた「人」と「自分」が重ね合わせられる部分も見えてくる
 
ここで先日、ちょぴっと得た知識をシェアして置きたいな、と。
 
 

貴方に何がわかるって言うのよ!

昼ドラで頻繁に聞くこの言葉。笑
あながちこの言葉は間違いでは無いんです。
 
それを証明するのが「氷山モデル」
 
これはハーバード大学のマクレランド教授という方が唱える理論から発展させて生み出されたモデルです。
 
分かりやすく図で説明すると、以下の感じです。
f:id:meyou3282:20160123114808g:image
引用: 日本の人事部 https://jinjibu.jp/smp/article/index.php?act=detl&id=54
 
要は、「氷山」として見えている「行動」というのは非常に表面的で、それはその人の5%程しか表していない、ということ。
 
その他の95%は全く見えていない。
「価値観」「信念」「動機」といった部分は表には出にくい、ということ。
 
この話から何を言いたいのかと言うと、
行動の元にある95%の部分を自分なりに考えていく事が大切だということ。
 
このモデルから考えると
浮気をした妻に、頭ごなしに怒る旦那がお決まりのセリフを食らうのも分からなくもない、と。笑
 
 
 
例えば、、
「嘘をついた」という行動をしたとします。
 
 
行動だけ見れば、不誠実で何て酷いんだろうと思うはず。私も思うでしょう。笑
 
でも、この氷山モデルを思い出してみる。
 
 
そうすると、
 
「傷つけたくなかった」という優しさがあったのかな?
「かっこ悪い所を見せたくなかった」という羞恥心があったのかな?
 
と、考えていく内に、怒りではなく、和解にベクトルが向くかも。
 
「ん〜まあわからなくもないな。」と(笑)
 
 
その人が遠そうで近いこともある、ということ。
もちろん、逆も然りですが。
 
マクロからミクロを考える。
ミクロからしかマクロは変えられない。
 
私はそう思います。
 
私達が出来る事は、いま自分が出来る事をする事。
まずは、世界で何が起こっているかを知る事はもちろんですが、
その問題と自分の生活を紐付けて考えていく事。
 
問題の内にいる「人」を考えてみる事も必要なんじゃないかなって。
 
 
まずは身の回りから、考えてみようと思います。
 
少し「むっ」としてしまったあの人の言動、
セブ島で携帯とカードを無くした時、人間とは思えないほど神的な対応をしてくれたおっちゃん(この話はまたします(笑))、
 
ここ最近出会った不思議な人たちです。(笑)
 
 
 
皆さんも考えて見てください。
 
ちょっと気になるあの人、のこと。
 
 
 
冒頭のクイズの正解は、、、次回のブログで!
 
 
 

ブログ始めました。

皆さんこんにちは。

先日2年ぶりにインフルエンザにかかってしまいましたが、1日で熱を下げるという驚異の回復力を見せました。

松岡修造さんと血が繋がってるのではないかとよく言われます、齊藤美結です。

 

 

以下、一応基本情報を。笑

 

 

・静岡出身大阪育ち

・国際派と見せかけて思考はザジャパニーズ

・関西の大学4年生

・使用言語は日本語、英語(まだまだ勉強中)

・趣味は知らないことを知ること、文章を書くこと、食べること(誰がでぶや)

・特技はこう見えて物凄く可愛く出来るくしゃみ

 

 

その他細かい部分は、

これから気ままに書いていく記事から読み取って頂ければと思います。

 

 

 

 

そもそもなぜ私がブログを始めたか。

 

3つの理由があります。

 

 

 

①思考を整理するため

 

 

思考は直感で浮かんでくるもの。(わたしだけ?笑)

 

それをあるべき棚にしまう、分類する作業をするために、アウトプットが1番効果的かな、と。

 

 

 

 

②伝わる、動かす、文章力を付けるため

 

 

非言語コミュニケーションの力を信じている私ですが、最後の一押しは「言葉」だと考えていて。

 

あああこの気持ち、言葉にならない!!という気持ちって誰しも経験したことがあるはず。

歌にもなる位ですから。笑

恋愛とかは特にそうなんじゃないかなあ。

 

 

言葉として可視化されたものを見る事で、

最終的に人は納得したり、

行動したりすると思っていて。

更に言葉にする事で同じ様に「言葉にならない」気持ちを持っている人を繋げられるんじゃないかなって。

将来的には、繋げるフェーズまで言葉の力を活かしていけたらなあと思ってます。

 

 

 

③日々の生活にアンテナを張るため

 

 

毎日変わらない景色、何の変哲もない日々。

でも、それはきっと、自分がそう思っているから。

いつもの通学路も、もし自分が蟻だったら、なんて妄想すればワクワクせずにはいられない!笑

いくらでも自分で変化は作れるもの。

 

小さな気付きをつくっていける様に、

アウトプットの場を設けたいなと。

 

 

以上3点の理由です。

ものすごく自分視点の理由です。

極端に言うと、自分のためだけにブログ始めてますね、わたし。笑

 

 

 

 

ただ1つ、約束したい事があります。

 

 

 

事実ではなく真実を伝えること。

 

つまり、「考えさせられる」ブログである事、です。

 

 

 

 

こんな記事を読んだ事があります。

 

 

ドキュメンタリーなどのノンフィクションは「事実」を、映画などのフィクションは「真実」を伝えている。

 

というもの。

 

 

なるほどな〜と思いました。

 

 

演劇を6年間やっていた事もあり、

私の解釈ではフィクションの「真実」を捉える為には「考える」事が必要不可欠だと思っていて。

 

 

この物語は一体どんなメッセージを伝えたいのか、

この俳優の表情はどんな感情を表しているのか、

このセリフはどんな意味を含んでいるのか、

 

 

 

正しい答えはきっとなくていいんです。

 

1番大切な事は自分なりに「考える」こと。

 

 

このブログのテーマは、

 

 

「日常」というノンフィクションから「真実」を伝える。

 

 

 

今決めました。笑

 

 

 

日常に隠れていると気付きという「芽」を、

言葉という「水」をあげて、

学びという「花」を少しずつ咲かせる。

 

 

拙い文章ではありますが、

誠心誠意込めて書かせてもらいます。

 

 

このブログの"存在"が

皆さんにとって小さな"贈り物"

になりますように。

 

そんな想いを込めて"Present"というブログ名にしました。

 

宜しくお願いします。

 

週末は寒波が来るそうなので、皆さん身体にはお気をつけて。